a little

こんにちは。

今日は、来月のフライヤー原稿をがんばって作っています。

特筆すべきことがないので、
最近ちょっとおもしろいなぁと思ったことを書きます。

近所で親しくさせていただいている関西人Cさん。

時々、美味しいものを買ってきてはおすそ分けをしてくださいます。

「少しだけだけど、食べてね。」を、
「一口(ひとくち)だけやけど、食べてね。」といつもいただく。

その“一口”という表現を初めて聞いたとき、
「え?ひとくちだけ?」と驚きました。
中を見たら、もちろん一口分だけではありませんでした。(笑)
むしろ一口というよりはたくさん。

それ以降、彼女から「一口だけやけど・・・。」と、何かをいただくたびに、
頭の中に一口分だけのいただきものがポワーンと浮かびます。

そして、ある日は、
やはりCさんから
「一枝(ひとえだ)だけやけど、食べる?」と電話がありました。

その“ひとえだ”という表現が私の笑いのツボに入ってしまいました。
電話によると枝豆とのこと。
その時も、頭の中に、ひょろっとした一本の枝が浮かびました。
実際いただいたものは、たしかに一枝でしたが、
立派な幹がたくさん枝分かれしていて、たくさん枝豆がなっていたのでした。

この表現は、日本人特有の謙虚と譲歩の美徳感覚によるものですね。
おもしろいです。

ずいぶん昔、幼稚園児だったある男の子のことを思い出しました。
今でも忘れない。
彼の名前は多門(たもん)くん。
珍しい名前だなという印象と、彼のお母さんが几帳面でしっかりした人だったので、
きっとその名前は、ご両親が奥深い意味を込めて名付けられたのだろうと思っていました。
彼は幼いながらも、コドモらしくない大人っぽい言葉づかいをする子でした。
またちょっと理屈っぽいというか、生真面目で常に真顔でした。

クリスマスの翌日のある日の会話。
私:「多門くん、昨日はケーキをいっぱい食べた?」
彼:「はい。少量(しょうりょう)食べました。」

いまだにあの幼児が“少量”と言った時の衝撃が忘れられません。
多門くん、どんなオトナになったのでしょう。
会ってみたい。

半月ほどケロッピの姿を見ないので、
毎朝どこでどうしているんだろうと気になっています。

今朝、ケロッピの兄弟が、
前にいた同じ場所にいました。
カエルにはテリトリーというか自分の定位置があるのでしょうか。

相変わらずケロッピを見ないのですが、
兄弟がいたので、ケロッピもきっと元気なのだと安心しました。

では。

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