池田忠利 の 見立て/逸脱

こんばんは。

3週間にわたって展示してきました池田忠利展も明日が最終日です。

楽しい楽しい池田作品は、
造形物のおもしろさと、
そのタイトルのおもしろさが合わさって、
より大きな魅力を放っています。

この池田さんの作品について言及された
画家で編集者の蓜島庸二さんのコメントをそのままご紹介いたします。

<池田の見立て/逸脱>

私は、2001年、御宿町の美術館、月の砂漠記念館における池田の個展“スクラップ・ワンダーランド”のパンフレットに、次のように書いた。

「それは、人間である鳥、魚である人間、人間である機械。
つまり、人間世界に対する池田のシニカルな眼差しに写し取られた、滅法楽しくて、屈託のないー場の人間喜劇。
しかしふと、それら魚と見えていたもの、女、あるいは男と見ていたもの、などなどが、ある時、海岸に漂着し、そして池田の卓越したウィットによって、一つの芸術作品へと丹念に転生させられた生活廃棄物の残骸に依るものであることに気付く時、それは必ずしも池田の当面のテーマではないにしても、その一方で、地球生物の生存そのものをさえ危うくしかねない永遠の渇き=消費欲望の在り処を見る想いがするのだ」と。

そのとき私は、人間や自然の生物、あるいは機械のはてまでも往き来する、池田の神話的“見立て”の世界をそこに見ていたのだが、いずれにしても、世界中のさまざまな時空間から漂着して、ただいま池田の足もとに流れ着き、そのような邂逅をはたした漂着物たちに、池田は更に幾重にも見立てを仕掛けてゆくのだが、実はこの見立てという作業はもう一つ“逸脱”という行為と裏表になっており、そのために、この世のあらゆるものがやがて背負うであろう“廃棄物/スクラップ”という文脈にしても、そのつど逸脱が課せられ、廃棄物から芸術作品へ、「人間である鳥、魚である人間、人間である機械・・・」へと逸脱/転生のダイナミズムのうちに、やがてIKEDAワンダーランドの住人として、新しい生命を獲得することになるのだ。

明日、最終日。
池田さん在廊されます。
ご高覧ください。

今朝、出勤しようと門扉を開けたら、
支柱のてっぺんにまたカエルがいました。
近くに寄ってじーっと見ても微動だにしません。
雨降りで涼しくて気持ちがよいのでしょうか。

私は、爬虫類も両生類も苦手なのですが、
この子はとてもかわいらしいと思える。

今から帰ったらまだいるかなぁ。

明日は今月の営業最終日です。
明後日から今月いっぱいお休みをいただき、
10月1日からの企画展の準備にかかります。

季節の変わり目、体調にはお気を付けくださいね。

では。

コメント