ミホちゃんへ・・・

 

 

こんばんは。

 

 

 

7日の夜、友人の大場美保ちゃんが天に召されました。

 

 

ミホちゃんとの出会いは、

私の自宅のある土気の町内にできた”おゝ葉”という蕎麦屋でした。

ミホちゃんのご主人の敬弘さんと二人で営むお店。

私は足しげく通っていました。

 

 

ミホちゃんは4年半ほど前、自宅で転倒した時に大腿骨を折りました。

救急車で運ばれた病院での治療の中で、骨に転移している肺癌があることがわかりました。

家族には余命半年と告げられました。

 

そこから、

あらゆる新薬を試しては効き、耐性ができて効かなくなり、

新たな新薬を試しては効き、耐性ができて効かなくなり、

・・・・・そんなことを繰り返し、

放射線療法を始めて入退院を繰り返してきました。

 

その間、ミホちゃんは、絶対に病気を治してゲンキになる!と、いろんな本を読みあさり、

糖質が癌細胞によくないという説を信じ、全ての糖質を絶った食事に徹しました。

当初からの激痛で、料理などの家事ができず、

いすみ市にあるミホちゃんの実家で暮らしてきました。

お母さんは最初は糖質制限に反対していましたが、本人の強固な意思を尊重し、

限られた食材や調味料で毎食毎食丁寧な料理をミホちゃんのためにせっせと作ってこられました。

 

癌患者を襲う神経の痛みは、すさまじいものだそうです。

鋭利な刃物でギリギリと刺されるような激痛で、発狂してしまうほどとのこと。

お母さんがおっしゃるには、この闘病の4年半の間、痛みがなかった日はほとんどなかったとか。

 

そんな中、ミホちゃんはいつもいつも前向きでした。

「絶対に治す!」

「ゲンキになる!」

「がんばる!」

と、頑張りすぎるほど頑張っているのに、いつも「私、がんばるよ。」と言っていました。

 

昨年までは、体調の良い時に、お母さんと一緒に松葉杖をついてテンに来てくれていました。

テンでの企画展には、10年以上前から来ては、ユニークな作品が好きでよく買い求めて楽しんで使ってくれていました。

今年に入ってからは、松葉杖も使えなくなり、通院以外で外出ができなくなってしまいました。

春頃から私が月に一度、いすみのお家にお邪魔するようになりました。

仙骨が悪いため、座ることができず、寝る時もうつ伏せでという状態でした。

お母さんの心尽くしの美味しいごはんをいただく時も、

ミホちゃんは膝をついてお尻を浮かせた形で座卓で食事。

食事以外では、ソファに腹ばいになっていました。

 

ご両親がおっしゃるには、昼間なども辛い体勢が続くので、

ベッドで横になるようにと促すも、夜寝る時以外はベッドに横たわることはなかったのだそうです。

 

 

6月22日、検査日。

この日は朝から顔色が悪く、診察の順番になるや、急きょ入院して輸血することになりました。

いままでに治療してきたいくつもの抗癌剤も、使い尽くして治療の手段がなくなってしまったと告知されました。

その時点では、余命10日くらいと家族に告げられました。

 

治療の術がもう見つからない、

痛み止めのみを施し、このまま命の火が消えていくのを待つという

胸が引き裂かれるような宣告でした。

 

それでもミホちゃんは、「絶対に治るからね。がんばるからね。」

と、いつも笑顔で言っていました。

 

この入院を機に、出される食事のごはんや芋類など糖質を摂ることにしました。

炭水化物を摂ると活力が湧く!という想いに変えたのです。

4年半もの間、ずっとガマンしていたパンやごはんやケーキやカボチャなど、

むさぼるように美味しい美味しいと食べ始めました。

今まで信じ切っていた食事法を強く後悔しました。

美味しいもの食べたいものを食べることがこんなに幸せなんだと痛感。

本気で病気が治るのではと思うほどゲンキになりました。

 

あと10日の命と言われたことがウソのように、

一か月が過ぎました。

その間も時々起こる激痛に、医療用の麻薬の点滴と座薬で鎮静させました。

痛みに耐える姿を見るにつけ、

痛みのない安らかな世界へ・・・

それとも奇跡を信じて生きるために闘うのか・・・。

どういうスタンスでミホちゃんのことを見守っていればよいのかいつも自問自答していました。

現に、私の知人で、医学では考えられない不思議な完治を果たした方が数人いて、

奇跡は自分の周囲で結構起こっているのだからミホちゃんにも実現すると信じていました。

いつ何時もミホちゃんは「ゲンキになりたいよ。がんばるよ。」と言っていました。

 

7月末頃から呼吸の補助に鼻から酸素を入れ始めました。

痛みがきたり、大笑いしたり泣いたりしたら、痙攣が起きるようになりました。

過呼吸にならないよう、吸ってはいての練習をしました。

そのうち、食べ物を噛むことも辛くなり、ミキサーでつぶした食事に変わりました。

一口一口食べるのも呼吸法をしながらゆっくり食べました。

 

8月に入って、ウトウトすることが多くなり、

突然話せなくなりました。

食事もできなくなりました。

今日か明日を覚悟するようにと3日だったか4日だったかに告知されました。

聴力は最期まであり、ミホちゃんに掛ける声も室内でのおしゃべりも聞こえていて、

たまに目玉を動かしたり涙が浮かんできたりしました。

 

 

6月の入院以来、ずっとうつ伏せで、胸もお腹も手足も辛かったと思います。

そんな状態でも、看護師さんが何かの作業をしてくれる度に、

頭を少しあげて「ありがとうございます」と言っていたミホちゃん。

辛いから口に出さなくてもいいんだよと言っても、必死でお礼を言っていました。

人懐っこくて誰からも慕われて、

多くの看護師さん方から大人気でした。

 

 

7日、私が「また明日ね」と病室を出た30分後、

ミホちゃんは眠ったまま安らかに息を引き取りました。

昨日の朝、お母さんからメールが来て知りました。

未明に土気の自宅に帰ってきたとのこと。

久しぶりに仰向けの姿のミホちゃんを見ました。

ホントにホントによくがんばりました。

とても真似ができないほどの強い人でした。

ゲンキな時の顔がどうしても思い出せませんが、

今は寂しさと悲しさと不思議な感動を覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大場さん、ご両親の悲しみの深さはいかばかりかと察するに余りあります。

大場さんは、泣いている暇もなく、慌ただしくいろいろな手続きをしています。

みなさん、ここ何日もほとんど睡眠もとれず、心身ともに疲労困憊の状態です。

 

私もいまだ胸にポッカリと穴が空いた状態でいますが、

今日午後あたりから徐々に日常を取り戻してきています。

 

このブログを書くこと、しばし躊躇されました。

葬儀で、一人でも多くの方にミホちゃんを見送ってほしいとの大場さんとご両親のご意向があったこと、

個人的に連絡をするのには限界があり伝えきれないこと、

お母さんの知らないミホちゃんの交友を知りたいとおっしゃったこと、

いろいろ考えて、このような形でお知らせすることにしました。

 

また、今の私にできることがないか・・・と。

ミホちゃんにメッセージを送れないかと思います。

ミホちゃんのことをご存知の方もそうでない方も、

何かミホちゃんにメッセージをいただけないでしょうか。

それらをまとめ、プリントしたものを会場の壁に貼り、

参列された方にもご覧いただいて、ミホちゃんの人となりや笑顔を改めて思い起こすことができるのではと考えます。

また、同じものを、大場さんとご両親にもお渡しして、

ミホちゃんがいかに多くの方から愛されていたかをお知らせできればと。

 

葬儀に参列される方もされない方も、

もしよろしければ、メールにてメッセージをお送りください。

以下の要領でお願いいたします。

12日(日)の17時までに受信したものをまとめさせていただきます。

 

◎メールの”件名”の欄に「ミホちゃんへ」と明記

◎お名前(匿名ご希望の方は、イニシャルを)

◎ミホちゃんとの関係 ex.友人、蕎麦屋の客、面識なし、など

◎コメント

 

こちらからお礼等の返信をしませんこと、ご了承くださいませ。

 

 

 

 

葬儀について

 

式場:博全社 土気儀式殿 千葉市緑区あすみが丘2‐1-5

    JR外房線・土気駅 南口から徒歩2分

通夜:8月13日(月) 18:00~

葬儀告別式:8月14日(火) 10:00~11:20

 

 

 

 

 

 

いつもいつも鈴の鳴るような明るい声で

「大好きだよ。ありがとう。」と言っていたミホちゃん。

一言も弱音を吐かず、強く優しく明るい笑顔でした。

そんな彼女のことを誇りに思います。

 

70歳を過ぎたお母さん、

ずっと病室に泊まりこみ、細やかにミホちゃんの看病をされてきました。

大きく深い母の愛を目の当たりにしました。

同時に最愛の娘の病に苦しむ姿を見る苦悩も目の当たりにしました。

気が変になりそうな中でも、お医者さんや看護師さんへの謙虚な姿勢も見てきました。
この傷心が癒えるのは まだまだ先のことでしょう。

いつか笑って話ができるようになるといいなぁと思います。

 

大場さん、

仕事をしながら、休みの日に病室に泊まり、

初めての出来事に次から次へと直面し、

大きなプレッシャーやストレスに襲われ、

愛する妻が亡くなっても泣いてばかりいることもできない。

一生懸命倒れずに立っている姿に胸が苦しくなります。

 

お父さん、

努めて明るくふるまい、音楽をかけたり励ましたり、

病室内に楽しい雰囲気を作っておられました。

またお母さんをどっしりとサポートされていました。

 

私は今まで ほとんど病院に行くことがなかったのですが、

今回、主治医、看護師の方々の温かい言葉掛けや笑顔が

どれだけ患者やその家族を癒すのかを知りました。

過酷なお仕事で頭が下がる想いがしました。

 

それから、テンの英語の会等でお世話になっている小川洋子さん。

面識のなかったミホちゃんに、親身になってアロマや呼吸法を教えてくれました。

洋子さんのお友達で臨死体験から生還され世界中で講演されているアニータ・ムアジャーニさんの話、

朗らかにミホちゃんと歌ったり、良いと思われることをたくさん実践してくれました。

とてもとてもありがたかったです。

 

しばしばお花を持って来られていたフルリールの裕子さん。

行くと気を遣わせるのでと、美味しいものを託けてくれた荒井恵子さん、山本晴子さん。

大場さんの高校の同級生でもある、六地蔵窯の安田さんも、大場さんのサポートを。

また、私の夫も、ミホちゃんファーストでやりたいようにやっていいよと

家のことを放りっぱなしにすることも許容してくれました。

みなさんに感謝しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミホちゃんは天国でもみんなから慕われるでしょう。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

ありがとう・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント

  1. 荒井恵子 より:

    みほさんへ
    心よりご冥福をお祈り致します。
    みほさんが病気と闘っていることを聞いたときはとても信じられない気持ちでした。いつも素敵な笑顔でお蕎麦を運んでくれて、ありがとう。優しくて、控えめで、可愛らしいみほさん、私には、みほさんの笑顔だけが心に残っています。これからもずっとみんなの心の中でいつまでもいつまでも微笑んでいて下さいね。