赤嶺学さんのプロフィール & 通販受付中

 

 

こんにちは。

 

 

久しぶりに晴れました。

・・・が、暑い・・・。

暑すぎる(汗)。

梅雨が明けて夏が来るのか(汗)。

 

 

しばし庭の清楚な白い花を見て気を紛らわせる。

・・・が、やはり暑い。

 

 

 

 

 

 

7月1日(木)~14日(水)

12:00~16:00

 

赤嶺学(磁器)・小川里子(布巾・アンティーク) 2人展

 

 

夏の清涼感あふれる白・白・白。

白い器に白い布。

爽やかな夏をお過ごしください。

 

 

 

赤嶺学さん

 

沖縄で作陶されている赤嶺さん。

幼い頃から絵を描くのが好きだったことから、

幼稚園~小学校~中学校~高校~美大・・・と

美術の道をまっしぐら!

そんな中でも、紆余曲折しながら現在の赤嶺さん独自のスタイルの陶芸を展開。

(この過程のお話はいろいろあり、後日、ブログでご紹介します)

 

腰の弱い磁器土を扱うのは難しい。

でも、あえてそれを土モノのように大胆に柔らかく表現。

造形はオリジナリティあふれるもので、一度見たら忘れられなくなります。

 

磁土特有の艶やかでクールな印象の肌のシリーズもありますが、

マットでポッテリとしたきめ細かいクリームのようなシリーズが美しい。

磁器の白が、柔らかく温かく触れると指が入っていくような感覚。

 

私個人的には以前から多くの赤嶺作品を愛用していますが、

テンでは初の赤嶺展。

今回、皿、鉢、カップ、ポット、オブジェなど、

バリエーション豊かな赤嶺作品を展開いたします。

ぜひお手にとってご高覧くださいね。

 

 

 

小川里子さん

 

千葉市在住の小川さん。

小川さんは私の憧れの人生の先輩のうちのお一人。

17年前に小川さんと知り合いました。

当時、期間限定のカフェをされていて、

私はお邪魔したり、一緒におでかけしたりすることが時々ありました。

 

小川さんは工芸やアートやアンティークなどがお好きで、

高い感度でモノを観ておられることを間近で見られて

そこから学んだことがたくさんあります。

日々の丁寧な暮らしが培うたしかな信頼を感じています。

 

少し前に共通の友人と私の車で出かけた時、

帰り際にいただいた小川さんが刺した布巾があまりにステキで

今回の展覧会にこぎつけたのでした。

真っ白なさらしに赤や青のチクチクと刺したステッチ。

ムダをそぎ落とし凛とした佇まい。

 

また、昔から集めておられたアンティークも展開。

小川さんの関心と歴史が垣間見られます。

 

作家在廊日:1日(木)・3日(土)・7日(水)・14日(水)

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、赤嶺学さんご本人についてご紹介します。

 

私はテンでの企画展で初めてお世話になる作家さんには、

基本的にその方のアトリエにお邪魔し、じっくり話をし、

ある程度の人間関係を築いてから、会期初日を迎えることにしています。

相互で信頼できるということはもちろんですが、

会期中、お客様に作品をご紹介する際、その作者のひととなりに触れているか否かで

作品に対する愛着というか熱量が違うような気もしています。

 

赤嶺さんの作品は以前から買い求め愛用してきたのですが、

お会いしたことがありません。

昨年からコロナが少し落ち着いたら沖縄に行こうと

PCR検査キットも準備し、時機を狙っていましたが叶わず。

頻繁にメールのやりとりや、電話で話をして交流してきました。

顔は見えなくとも、電話口での話ぶりからお人柄を感じ取ることができ、

きもちよく一緒に仕事ができる人だと確信しました。

 

とは言え、赤嶺さんのことはほとんど知らないので、

子どもの頃から現在に至るまで、

なんでもよいのでなるべくたくさんの文章がほしいとおねがいし、

メールでいただいたのです。

ご自身は苦手な文章で・・・と謙遜されましたが、

とても温かくてよい文面だと思いました。

 

・・・という訳で、

赤嶺さんからいただいたメールをみなさんにもシェアいたします。

 

 

お絵描きは小さい頃から好きでしたが、

幼稚園(6歳)の先生が絵を描くたびにベタ褒めしてくれたことで

ますます絵を描くことが好きになった幼少期(笑)でした。

「豚もおだてりゃ木に登る」というやつです。

子どもの思い込みはすごい。

 

小学校の頃、授業で描いた絵は、ほとんど学校代表として毎年何かしらの賞をいただいていました。

私たちの世代は第二期?アニメ世代の全盛期だったので、

私も多分に漏れずアニメに大きな影響を受けていました。

小学3年生の頃に、友人のお兄さんが持っていた「アニメージュ」という雑誌を見せてもらった時に、

絵を描くことが仕事にできると知ってすごい衝撃を受けました。

「将来はアニメーターになる」と、その頃は真剣に考えていましたね。

 

中学生の頃は私にとっての「暗黒期」でして、通っていた学校が荒れていたため、毎日憂鬱な毎日でした。

運動神経はとても良かったのでイジメを受けていたわけではありませんでしたが、楽しい学校生活ではありませんでした。

その憂鬱で抑圧されたイメージをイラストに書き溜めていたのですが、

そのスケッチブックを美術教室に忘れてしまったことが、その後の進路を大きく左右するきっかけになりました。

置き忘れたスケッチブックを見た美術の先生に呼ばれ、美術の道に進むように強く勧められました。

美術を主とした学校があるなんて全く知らなかった。

その助言のお陰で、デザイン科のある工業高校に入学し、

大学進学は二浪はしましたが沖縄県立芸術大学に入学する事に繋がっていきます。

 

一浪まではデザイン科を受験していましたが、高校の頃に授業で教わった陶芸に興味が出てきて、

二浪目はその陶芸科を受験し合格しました

 

二年間も美術系の予備校にも行かず自宅でデッサンや一般教養の受験対策をしていたので、

大学生活は沢山の友人と切磋琢磨出来ることにとても充実し、そしてドップリと陶芸に明け暮れる日々を過ごしていました。

そんな突っ走るような陶芸どっぷりな毎日も、ある課題を前にした時に壁にぶち当たる事になります。

沖縄芸大の陶芸専攻は3年生の後期に、三年間の集大成的な作品展を行うのですが、テーマは自由。

「作りたいものを作る」という課題でした。

なのに、「自由」と言われても自主的に作りたいものが自分の中にない事に愕然としました。

思い返せば1〜3年生までは伝統的な焼き物の写し(寸法などを元に模写する)が主な課題で、

指定された形を人より沢山作る事をこなしていました。

私がどっぷりハマっていた陶芸は、創作ではなく工房の雇われ職人の様な作業に明け暮れていたことに気づいてしまいました。

楽しいと土と向き合っていた毎日が一変しました。

 

この課題がきっかけで陶芸の魅力は失われて、全くロクロをひかなくなります。

 

悶々とした日々を送っていた時期に京都に行く機会に恵まれ

友人の紹介で京都芸大出身の作家さん数名の制作を拝見させて頂きました。

そこには伝統工芸とは違う前衛的(オブジェ)な陶芸の世界が広がっていました。

魅力を失いかけていた陶芸への思いが新たに希望に溢れたものに変わっていきました。

 

大学卒業(24歳)後は工房や陶芸教室などでバイトし、

その収入で東京や京都のギャラリーで行われる色んなジャンルの作品展を観漁って年間7、8回は行ってました。

自分の作品制作と発表も器は全く制作せずに、オブジェだけの制作です。

 

29歳の頃バイトは全て辞めて、自分主催の陶芸教室をオープンして独立します(教室は1997年〜2012年迄)

 

独立一年後(30歳)、いくつかのギャラリーさんから器の展示会をしないかと声を掛けて頂いたのがきっかけで大学以来の器制作を再開する事になりました。

 

 

(器制作)

 

器制作を始めてすぐに、どんな特徴の土で今後、器を制作していこうか方向性を見据えて

色んな土を購入しブレンドしたり、はたまた自分で掘ってきた使えそうな土を自分で作ったり

使う土で今後の自分の器の方向性が決まると思っていたのですごく悩んでいました。

だけど、決まる時は意外と簡単に決まるもので、友人から磁器土を貰ったのが磁器土を使い始めるきっかけになりました。

私の中に全く磁器土を使う選択肢が無かったのに。

私の求めていた土の条件は、ロクロで揺らぎのある柔らかい表情が出る事でした。

磁器土は腰が弱く器を薄く引こうとするとすぐ腰砕けになってしまい、自分の思う様な形に仕上がりませんでした。

だけど、それがまさに私の求めていたものでした。

自分の良いと思った形からちょっとだけ外れたフォルムに仕上がる事が魅力的で私の向かう方向性だと確信しました。

「磁器を土物のように大胆に柔らかく表現する」これが器を作り始めた頃の目指したものです。

 

個展のたびに磁器の新しい表情をもとめる実験的なアプローチを続けてきました。

磁器土に素焼きした磁器を砕いて砂や砂利に見立て混ぜてロクロを引いてみたり、

すごく柔らかいタイミングで削ってみたり、逆に完全に乾燥した状態からガリガリ削ってみたり、などなど。

土の表情を色々模索してきました。

 

 

 

個展ごとにテーマを作り、それにそった作品を発表していました。

やる度に作風や表現方法が変わると評価されていたようです。

そんな言葉を聞くと、自分は迷走しているのかな?

と考える様になっていました。

2017年に「レトロフューチャー」というタイトルで個展に臨み作品を制作。

タイトルがとてもしっくりと馴染むのです。

過去の作品を改めて見返すと、すべてが「未来の形」

 

ふらふら迷走していると思っていた今までの作品は「未来の形」として仕上がっていて、

一つの共通テーマに沿っていたと気づき、全てが腑に落ちました。

 

補足。

1970年代から80年代のSF映画、SFアニメなどの未来を想像させる乗り物や建物。(今ではレトロな未来描写ですが)

私の生まれた1968年は、大阪万博(1970)前後だったので世の中は科学的に発展した未来を夢見る風潮だったのだと思います。

そんな幼少期の自分は影響をもろに受けています。

今まで模索してきた磁器土の表現手法と、自分の中にあるデザイン傾向を上手く融合させた器を現在制作の主としています。

余談ですが、未来といえば「白」のイメージが強く、器も真っ白ばかりなのはそこに理由があります。

 

 

 

(オブジェ制作)

 

独立後も器を作りながら色んなテーマでオブジェも発表していましたが、2004年(36歳)から自転車のオブジェを制作し始めます。ダイエットの為に自転車を購入した事がきっかけです。

独立後一年間で体重が35kg増え100kgが近くまで迫ってしまう程一気に太ってしまいました。

身体が重くて横断歩道を走って渡れなくなっていたし、お腹が邪魔で靴下を履こうとしても手が届かなかったり。

その現状を変えようと自転車購入しました。

その頃流行っていたマウンテンバイクを購入したら、3年のうちに所有自転車は3台になり仕事も手に付かなくなるくらい自転車にハマっていきました。

大学入学してから36歳まで、陶芸以外の趣味も無くお金の使い道も陶芸の為だけに全て使っていたのに、

自転車を購入した事で陶芸ばかりだった生活の反動なのか自転車に乗ったり、整備する事にどんどん時間を費やす様になってしまいます。

自転車どっぷりの毎日が流石に仕事に支障が出ていたので、趣味と実益を兼ねると言う理由からオブジェのテーマを自転車にして制作を始めます。

それが自転車オブジェのスタートでした。

2010年に縁あって東京八重洲のアートギャラリーに作品を発表する事ができ、そこから毎年(12年間)自転車をテーマにしたオブジェ作品を発表しています。

2016年4年間自転車の国際レースのトロフィー制作もしていました。

 

 

 

 

 

 

7月については、以下のとおりで営業いたします。

 

 

コロナウイルスの感染防止対策として、

カフェはお休みしています。

書・日本史・薬膳料理教室・英会話のカルチャークラスも休講します。

 

 

時短営業で12:00~16:00とします。

今回は、来店予約制はとらず、会期中、自由にご来店ください。

一時的に店内が密になる場合は、

ご入店人数を規制し、玄関のところでお待ちいただくこともあります。

 

 

◎ご来店になるお客様へのおねがい

 

マスクをご着用ください。

店の玄関に置いてあるジェルで手指を消毒してください。

店内でご覧になっている他のお客様とはなるべく距離を保ってください。

 

 

 

会期中、ご来店になれない方のため、

3日め以降、通販を承ります。

作品は少しずつ、このブログでご紹介いたします。

 

また、常設作品に関してはオンラインストアのページを設けております。

こちらも徐々に作品をアップしていっています。

併せて覗いてみてくださいね。

 

 

 

 

 

ただいま通販の受付をしております。

作品をアップするのに時間を要します。

初日のブログの画像などをご参考に、お気軽にお問合せくださいませ。

 

赤嶺学さんの通販ページ vol.1→、vol.2→、vol.2→

 

 

 

 

昨日帰宅した時、

玄関の外壁に動くものが視界に入ってきた。

ヤモっちゃんだ♡

少し前に玄関のたたきのところで見かけたヤモっちゃん、

シッポが切れてしまっていたので、

この短いシッポの子はあのヤモっちゃんだ!

鉄のオブジェの中からチョチョっと白い動くものが見えた。

ヤモっちゃんの子ども?奥さん?それとも愛人?

とにかくゲンキにいてくれてよかった♪

 

 

 

 

 

 

楽しい週末をお過ごしくださいませ。

 

 

ではでは。

 

 

 

 

 

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