ウエダキヨアキ(陶・絵)・Tiny Knots(ギャッベ・キリム)2人展、あと4日 & Tiny Knotsのオールドキリム & ギャッベの魅力

こんにちは。
昨日、9時間昼寝しましたが、
昨夜12時過ぎに布団に入って、3・2・1で爆睡しました。
眼を閉じればいつでもいくらでも寝られます。(苦笑)
というわけで、今日はアタマがスッキリ、
仕事に打ち込めそうです。
お正月明けから展開してきました“element”展、
ウエダキヨアキ(陶・絵)・Tiny Knots(ギャッベ・キリム)2人展も、
残すところあと4日となりました。
今日は、Tiny Knotsのキリムをご紹介します。
キリムはかなり奥が深く、多種多様です。
オールドキリムのコレクターの方も少なくなく、
いろいろマニアックな話を神戸さんとされています。
1950年代のオールドキリム
ガズビンで織られたものです。
元々は長い織物だったものをカットして、
正方形の手前の辺を新たに織って仕上げたもの。
こうして貴重なキリムは、クッションカバーなどにしてまで無駄なく使い切るのだそうです。
145センチ×145センチ
115560円


50~60年前のアゼルバイジャンで織られたもの。
キリムは羊毛で織られることが多いですが、
こちらはところどころ綿で織られた箇所があります。
ウール部分は色落ちがしにくいのですが、
綿の部分の藍色が褪せているのがまた魅力です。
160センチ×70センチ
48600円

↓この“Z”のような織柄の部分が藍色が褪せた綿の部分

こちらは新しいものです。
シーラーズのもの。
シーラーズはギャッベが織られている地方でもあります。
アイボリーやベージュの色は、
染められていない羊そのものの毛の色です。
折柄や色めがオーソドックスなので、初心者の方に入門編として使っていただきやすいですね。
145センチ×100センチ
54000円


こちらは、50~60年前のセネ(サナンダジ)のもの。
いまだ紛争が絶えないクルド族、
国を持たない最大の民族と言われている彼らが居住するエリア。
シーラーズの人たちは大ざっぱ、
セネの人たちは緻密でしなやかな織物を作ります。
織りのモチーフは花がほとんど。
“メダリオン”と呼ばれるパターンが特徴。
もちろん床に敷くのもよいですが、
このようにタペストリーとして壁にかけるのもステキですね。
147センチ×100センチ
84240円

真ん中の白地に織られたものは、花と茎、
両サイドに櫛のようにある柄は鳥の翼。
周囲に織られたオタマジャクシのようなものや三角の連続の柄は花のつぼみ。

こちらは、上のセネの新しいものです。
色のコントラストがはっきりと鮮やかですが、
よく考えると、上の50~60年経ったものの色があれほど美しく残っているのもスゴイと思います。
これは天然の草木染めだからこそでしょう。
96センチ×68センチ
37800円

こちらは1950年代のトルクメン地方のもの。
トルクメン独特の落ち着いた色合いが美しいです。
トルクメンは自然豊かな環境なので、派手な色を使わないのだそう。
対して、シーラーズは岩砂漠の殺風景な環境なので、色鮮やかなものを求めるのだそうです。へ~♪
194センチ×105センチ
95040円

イランの地図もご覧くださいね。

昨年行ったみんぱくの常設館では、
世界各国の暮らしの道具や住居などの展示がありました。
遊牧民族はキリムやギャッベを丸めて持ち運び、
地面に敷いたり、家の壁や仕切りや屋根にしたりする例を観ました。
こうして生活するためには、堅牢性、耐久性だけではなく、
厳しい寒さや暑さから身を守るための機能性が備わっていることが必須です。
そのような織物を現代の私たちの暮らしでも使って楽しめるのはうれしいですね。
羊と人間は切っても切れない関係であること、
これについては後日またお話しようと思います。


以前、神戸さんとギャッベの魅力はなんだろうと話をしたことがありました。
以下、おもしろいなと思った神戸さんの考察をご紹介しますね。

 

*ギャッベとペルシャ絨毯 その1
 

工房で作られた、いわゆるペルシャ絨毯を見る機会があったのですが、

ふと頭に浮かんだ言葉が「許せるのか、許せないのか」。

許す方はギャッベやキリムで許さない方はペルシャ絨毯です。

 

ペルシャ絨毯の目も眩むような緻密で隙のない模様や織りは

元来宮廷や貴族の為のものだったので、

全ての工程において管理も厳しく、自分の織りたい模様などがあったとしても、

織り込むことなど許されません。

それはペルシャ絨毯の織り手はあらかじめ決められたデザインに沿って

織らなくてはならなかったからです。

また、これらの絨毯の依頼主は権力者で、
自分の力を見せつけるために作らせることが
多く、

寸分も狂わず、また隙間なく織りこまれる模様が相手につけいる隙を与えないことを感じさせ、

威圧感を与えるのです。

特に中央にメダリオンと呼ばれるパターンは

視線が中央に集中する為、王族や権力者の威厳を表す代表的な文様となりました。

もちろん織り糸の質や色についても妥協は許されません。

このような完璧な美を追及する厳しさと緊張感が

引き込まれるような美を生み出さすことになるのですね。

 

ところが、ギャッベに目を転じてみると、

模様はヤギや花などが1つ、2つとまばらに点在し、

というかほとんどないに等しいものもありますし、織り目や色もムラがあります。

それなのにこちらも不思議と引き込まれてしまうような雰囲気をもっています。

でも緊張感はなく、どちらかというと包まれるような感覚に近いように思います。

 

これはどうやら今あるもの、与えられたものを認める、

つまり許し合うことで、ギャッベが作られることに関係しているような気がします。

例えば羊の毛。

彼らは基本的に自分たちの飼っている羊の毛を使って絨毯を織るのですが、

羊も生き物です。

歳も取るし、気候や環境の変化によって毛の質が変化することもあります。

また、白い毛の羊から茶色の毛の羊が生まれたりすることもあります。

このようにいつも思った通りの毛が手に入るとは限らないので、

あるもので何とかする工夫をすることになります。

(これが工房ならそういう訳にはいかず、何としても調達しなければなりませんね。)

 

また、染料にしても草木で染めるということは環境や時期の微妙なずれで、

次回もまったく同じ色の糸ができる可能性はゼロに等しいのです。

織っている途中で同じ色の糸がなくなってしまったのなら、

もう、それはそれで次のことを考えるのです。

(これが工房なら、何回も染め直すか、それを避けるのであれば最初から化学染料を使います)

 

つまり、

今置かれた状況を認め許し、その中でできる限りのことし、それを楽しむ。

そんな態度で織られるのがギャッベのような気がします。

 

また、ギャッベは糸を作るところから織り上げるまで、自分を含めた一族で行うことが殆どです。

そうすると、誰かの「許可」を得たりすることは殆どないでしょう。

自分で織りたいように織る。それがギャッベの基本です。

この自由な解放された心持ちがあるから、

ギャッベは見る人の気持ちをおおらかにするのではないかと思います。

人に指示されて作ったギャッベは、どこかぎこちない感じがします。
 

*ギャッベとペルシャ絨毯 その2

 

近視眼的かそうでないか。

 

ペルシャ絨毯を見ていると、だんだんその視線は絨毯に近づいていきます。

その緻密な模様のせいでしょうか、一点に引き寄せられる感じです。

視点がどんどん狭くなるような、そんな心持ちがします。

 

でも、ギャッベの場合は逆のような気がします。

どんどん、視線が遠ざかるのです。

そして、時には俯瞰しているというか、自分のことでさえも遠くから見つめている感じ

になるのです。

(私だけだったらごめんなさい!!!)

それはたぶん、ギャッベに織り込まれたヤギや子供、草や木を

自分に投影しているような感じになるからなのではないでしょうか。

広いところから自分を見つめているような感じになるのです。

 

世の中が何事も分析され、どんどん細分化されているように思います。

どんどんと突き詰めていってしまい、視点が狭くなり、些細なことにこだわり、

最後は逃げのきかないところまでいってしまう。

でも、自分を遠くから見てみるとか、広いところに身を置いた自分をイメージするとか

そんなことをすると、自分が持っているこだわりや悩みが小さなものなんだな、と思うかもしれませんね。

 

ギャッベの第一の役割は部屋を心地よく過ごすためのものものですが、

こんな見方をすれば別の役割もあるのだなと思ったりもします。

 

楽しい週末をお過ごしくださいませ。
 

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