荒井恵子 作品紹介 & “アート・ファンの時代”を読んだ

こんにちは。

今朝、外に出たら意外に暖かいのに驚きました。
テレビの予報によると、
午後から冷えてくるそうです。
体調管理に気をつけましょう。

荒井恵子さんの水墨画の展覧会、
中盤に差し掛かってきました。

今回出展されたシリーズをひとつご紹介いたします。

“memory”と題された作品。

墨で着色した和紙をコラージュしたものを
パネルごと和紙で包み込んだ作品です。
この外側の和紙は、ものすごく細かく漉かれた繊細なもの。

いろいろな想い出を閉じこめたというイメージでしょうか。

先日、荒井さんが「おもしろいよ」と
貸してくれた本。

荒井さんもお世話になっている
“ギャラリーアートサロン”のオーナー・田中義明さん著。

昨日夕食後、一気に読みました。

現代アートについて述べられたご本です。
とても共感できる内容でした。

この中で、
「有名な絵を前にして感動しないのは恥ずかしいこと?
 無名な絵でも、ずっとよいと思えるものがある。
 もっと勉強したらやはり有名な人の絵の方がよいと思えるようになるのか?」
という多くのアートファンの疑問。

それに対して、田中さんは、
「たしかに素晴らしいといわれている作品を多く見ていると目が肥えてくる。
 そして、無名のアーティストの作品でも、
 よい作品かそれほどでもない作品かが、
 わかってくるようだ。」と。

このご本の中では、
田中氏が読まれたいくつかの著書が紹介されています。

ある銀座の有名な画廊の社長・佐谷和彦氏の著書“アート・マネージメント”の中で、
「絵がわかるようになるいは、いい絵をたくさん見ることだ。
 骨董屋の小僧は学問や知識は皆目ないが、
 主人から毎日いいものを見せられていると、
 ある時さっと目の前にものが出されても、
 直感的にその良し悪しの判断ができるようになる。
 反対は真ならずで、
 つまらないものばかり見ていては、いいものは全く見えてこない。」

また、佐谷氏の本で
“考える眼  絵画への愛と省察”(寺田透著)から引用の
「僕は、美しいものは自分で見つけ、
 その見つけ方をも自分で見つけ、
 精錬していくより他しようはないと思う。
 そういうやり方だけが強いもので、  
 持続し発展していくものと思う」

田中氏は
「批評家が素晴らしいというから、
 私たちも感動しなければならないと思う必要はなかったのです。
 私たちは、食べ物や着るものについては、
 平気で好き嫌いを表明するのに、
 芸術については好き嫌いをいうのをためらいます。
 わからないことが恥ずかしいという気があるからです。
 なにか特別な重みをそこに感じているのです。
 しかし、批評家の書いたものを読んだり、
 アーテイストと話をしたりしているうちに、
 そのn神秘のベールが次第にはがれてきて、
 私たちと同じ人間たちがやっていることだという気がしてきました。
 だからアートファンをやめるということではなく、
 もっと気軽にアートを楽しもうという気になれたのです。」と。

ピカソの言葉に以下のものがあるそうです。

「人はみな絵画を理解しようとする。
 ではなぜ人は小鳥の歌を理解しようとしないのだろうか。
 美しい夜、一輪の花、そして人間をとりまくあらゆるものを、
 人はなぜ理解しようとはせず、
 ひたすらそれらを愛するのだろうか・・・」

昨夜、読書して、私の心に留まった文章をご紹介しました。

アートも器も服も食べ物も
自分の好きなものを自由に選んで楽しめばよいのですね。
眼を肥やすことも楽しみの一つとして過ごせば
なおおもしろいものが見えてくるのだと思います。

では。

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